このテーマはあまり良くなかった気がする。あまりにもわたしの一部になりすぎて、うまく書けない。宮崎駿作品が自分の価値観にどれだけ影響を及ぼしているか、考えるのも恐ろしいくらいだ。それでもわたしは、宮崎駿の生きている時代に生まれて、本当に良かった。
そこからは親は事あるごとに宮崎駿作品を買ってくれたように思う。パンダコパンダ、魔女の宅急便、となりのトトロあたりは覚えるほど観た。その時点では千と千尋の神隠しやもののけ姫や風の谷のナウシカは見たことがなかった。怖かったのだ。宮崎作品はいつもちょっと怖いものだった。それでも、好きだとか嫌いだとか感じる以前の、感性を形作る段階で、わたしは宮崎アニメを観ていた。ナウシカは小学4年生の時に観て、宮崎駿本人が描いた漫画を6年生の時に熟読した。ポニョは映画館に行った。中3の時アニメ監督になりたいと思い付いて、高2の宮崎駿の引退で決心した。宮崎アニメ、とさっきから呼んでいるのは、スタジオジブリが必ずしも宮崎さん監督だけの制作会社じゃないということと、正式に会社として出発したのが「ラピュタ」からだからである。ハイジやコナンやルパンやパンダコパンダもジブリではない。ジブリアニメのなかでも、好きだなと思うのは宮崎さん監督の作品だ。はっきりしている。宮崎さんの作品で一番好きなのは?と聞かれたらあまりにも迷うのでとりあえず「ナウシカ」と答えることにしている。たぶん一番観たのは魔女宅、次がトトロ、次が千と千尋である。何が好きなの?と問われたら間髪を入れずに「絵」と答える。好きとかじゃなく、もうわたしの絵は宮崎さんからはじまっていると言える。そして動き。空を飛ぶこと。女性が強いこと。音楽。宮崎さんは決してストーリーをきっちり組み立てようとするひとじゃない。作家本人の発言がすべて正しいかというと全くもってそうではないのが美術史の常だが、確かに本人も言っていた。「耳の産毛が金色に光って、それが綺麗だったとか、子供はそういう映画の見方をしている」。また、「これはこういう映画ですってつらつら説明できる監督がいたら、それは大した映画じゃないと思います」。宮崎駿のすごさはシンプルだ。観客が「初めて見る映像」を作り続けられることだ。どうやったら思いつくのかわからないけど、でもこれが見たかったんだよ!という映像、画面を作ること、それをコンスタントに再現してゆける、これがたぶん宮崎さんの天才性。個性とは技術そのものだ。センスとは知識からくるものだ。宮崎駿を神格化してはいけない。してるけど。なんの批判も批評も受け付けられない時点でしてるけど。じぶんでもどうしたらいいかわからん、許してくれ。
しかしまあ、小さい頃の刷り込みとは恐ろしいもので、宮崎駿のインタビュー集を文庫本で読んだときに、ちょっと戦慄を覚えた。宮崎アニメでは監督本人の思想を台詞にしたり直接言葉として書き込んだりすることはまずない。なんてったってモノローグさえ無いのだ。彼の作品の登場人物は、彼らの人生を精一杯生きているだけだ。宮崎さんが「こんなに苦労して作るのに、何にも考えてないような馬鹿は描きたくないですよ」と言っていたのを思い出す。それなのに、わたしはそのインタビュー集で宮崎さんが指摘したり怒ったりするこの現実社会の諸相について、とても共感を覚えたし理解できたのだ。それは本当にびっくりした。幼少期のアニメがばっちり自分自身の価値観に影響していた。恐ろしいことだと思う。作者の蓄積してきた思想が、もしかしたらそのつもりがなくても、本当に深いところまで作品の中に示されてしまうのだと思った。そしてかなり幼かったはずのわたしはそれを骨の髄まで染み込ませていた。自分の自覚以前に染み込ませたもの、自分の選択(今でも選択できているのかは置いておいて)の遥か前に与えられ享受していたものが、わたしのほぼすべてを形作っているといってよい。もう事実なので受け止めるしかない。宮崎駿や、海外の児童文学や、親の好きだった音楽や、弟の誕生や、田んぼや山や雪や、東京という街、それはわたしの故郷で、逃れようとも逃れられない。否定したって始まらない。わたしはそこから始まった。故郷を神格化するひとはいないけど、でも故郷をなんの色眼鏡もなく批評できるひともそんなにいないに違いない。
わたしの目標は、こどもたちの心の故郷になるようなアニメーションを作ることです。そして夢は、某先生のお子さんに笑っていただくことです。恐ろしい野心であることは自覚している。ほんとうのことをいうと、ごめんね、将来やりたいことがなかった瞬間が人生に一度もこれまでないのだ。やりたいことだらけだ。年老いる前に早死にしたいという友人がそこそこ周りにいるけれど、とても腹がたつのでじゃあその残りの時間をわたしにください。勝手な話であることはわかっているので笑ってください。ひとは生を選べないから死だって選べなくて、わたしは今日にも死ぬかもしれなくて、でもそれを忘れて生きていられる程度にわたしという人間が馬鹿でよかったなと思うよ。惰性で生きていてくれてありがとうわたしの体。生命って不思議。アニメ見て作って笑って寝て叫んで生きたい。宮崎駿さん復活だそうじゃないですか。大人しく引っ込んでくれないのはぼくらが不甲斐ないからか、でもな、言い方悪いけど、それくらい生き汚くありたいと思う。頑張るからさ、さっさと追い出されてよね!こんな文章書いてる間に絵の一枚でも描きやがれ私。今日も張り切って参りましょう。
次回は「同期」です。その次は「一人称と選択とスピッツ」です。すてきな1日を。
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