気づいたらトイレで東京エンカウントの櫻井さんゲスト回を10分近く観ていた。何してるんだろうと思う。さすがに疲れているのか。一人暮らしとか始めたらこういうことだらけになりそう。怖い。誰も困る人いないし。我に返ってお風呂に入ってパジャマで洗面所でこれを打ち込んでいるこの状況もなかなか不可解ではある。
温かい水筒を持ち歩くようになったのは6年前の昨日がきっかけだった。寒い日だったなあ。期末の終わった次の日だったか、GTECの日だったか。返却された幾何のテストが13点で本当にびびったが、それどころじゃなくなった。私のクラスには一切の情報が入っていなかった。ただ事じゃなかったことだけが、今になってわかる。避難訓練がなんの役にも立たなくて、先輩がやってきて乾パンと毛布を配ってくれて、放送で更新され続ける待機命令を、わたしは歌詞カードを眺め小声で歌いながら過ごした。でも夜が更けてきて、みんなで横になって教室の電気を消しても寒くて震えて眠れなくて、廊下から光が漏れていて、遠藤先生の低い声と斎藤先生の声が途切れずに地面をつたって聴こえてきた。余震で窓ががたがたと永遠に揺れているみたいだった。うっすらと覚醒しきらない意識の中、ひとりまたひとりと同級生が親に連れられて帰っていった。一度トイレに起きた。友達のみみちゃんと連れ添ってドアを開けたら校舎内は煌々と光って先生方がみんな起きていた。たぶんもう4時近かった。教室に戻って、帰ったひとの毛布を勝手にとって二人で包まって身を寄せてようやく眠った。朝起きて、7時に温かい鮭のアルファ化米が配られて、そうこうしていると大量のパンを差し入れに持った母と弟が迎えにきて、バスで帰った。妙に静かな街だった。その日は母の友人の出演する舞台を観劇する予定で、でも母がダメだと言って、わたしは不服だったけど帰って初めてテレビを見て、絶句した。なにより、わたしがそれをみたときには、それは「終わってしまったこと」だった。絶句という言葉では少し足りない。なぜか未来の遠さ、暗さを思い知った。わたしたち人間には所詮、「いま現在」しか与えられていないのだと、思った。
あの日から6年だなんて嘘だろう。嘘だと思いたい。あのときから驚くほどなにも進歩していない。結局わたし・たちは、いま現在のことしか、考えられないでいる。わたしは今日も友人と未来について夢みたいな希望の話をして、あの日を忘れていって、そのうち日付さえ歴史上の出来事になって、あっという間に死ぬ。流れてゆく。そうしないとヒトはみんな知恵熱で絶滅する。でも、それでも、ああくそ忘れたくない、死ぬまでつきまとってやるぞ震災、と宣言していきたい。「君の名は。」みたいにみんなを救えたらなら。あんな夢を描いたらだめだ。許しがたい。事実の肯定から入らなければ、いつか歪んでしまう気がする。日常のもろさを天災は思い知らせる。いつなんどきでも。日常とはなんなのだろう。こんなに弱い存在を、どうして日々信頼していられるのだろう。馬鹿でよかったと思う。そうでなければ気が狂う。わたしは明日も何事もないような顔で、息をしているのだ。6年。もう、とも、まだ、とも、うそ、にも思える時間。
身体が冷えてきて風邪をひきそうなのはいま現在、それでも打ち込み続けているのもいま現在、明日風邪をひくかもしれないがそれは誰にも、なんのせいかもわからなくて、きっとそれはもう仕方のないことだ。あしたゴジラがやってきたって、巨災対が機能しなくて東京が焼き尽くされたって、わからないんだ。それでもぼくらは明日の遊びの約束をする。いつもまたねを云う。するのだ。いうのだ。
愚鈍にも自分の生命を信じていく。信じていく。それをたぶん未来って呼ぶって教えてくれたのはスガシカオ。理想の世界じゃないけど大丈夫そうなんでと言い放ったのはスピッツ。現在しか知らないと暴いたのは椎名林檎だね。地球は回る、毎秒200メートルぼくらは移動しているらしいよ。知らないことはやまほどあるけど、「なんで生きているのか」知らないのに生きていられるんだから大抵のことはなんとかなるって希望を持ちたい。でも知っている。希望はいつでも、ほんとうに些細なことだ。はい、ではみなさん。またあとで。この文章、もう終わらないよ、終われ。
あの日から温かい水とうを持ち歩いているの 簡易安心(野原海)
今回は「番外編 いまのことなど」をお送りしました。次回予告を予告なしに裏切ってごめんなさい。次回のテーマは「一人称と選択とスピッツ」、その次は「アラビア語」です。
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